2012年8月3日金曜日

ダイアモンドオンラインを読んで

ダイアモンド・オンラインのデモの参加者にも広がり始めた焦りと無力感 「脱原発」意識の二極化現象に覚える違和感の正体 (記者:宮崎智之) を読んで、相当疑問に思ったので残します。


まず、最初に思った事は
「凄いな。無茶苦茶書いとる。。。」
です。

やはり、適正、的確な一般化ができない人はニュース記事を書くべきではないと思ってしまいます。

個人的な意見を最初にまとめておくと、人の考えを変え、行動に移させるには、伝えるための文章を始めとする表現には非常に気を配らないといけないし、そのための支援行動も綿密に計算されたものであるべきだと思っています。
「脱」原発論にはそれが足りてません。(私は自分の時間を「脱」原発にそれ程費やす気がないのでやりませんが)


というスタンスで、ポイントを幾つか引用しながら指摘したいと思います。


全国的に見ても「脱原発」への意識が高いはずの若い世代の票ですら、飯田氏に思うように集まらなかったことは、意外に思える。
私の考えでは、全然意外じゃないです。理由は二つ有ります。

なぜなら、飯田氏は、即刻原発を止めろという強烈な反原発論者。若者一般の意見をまとめたことは無いが、投票に行くような若者はもう少し合理的な思考をしているか、保守層なので、飯田氏には入れるとは思い難い。
飯田氏のような極論を言わなければ「脱」原発論は浸透するだろうと思います。
有権者、投票者が、そのことを理解していたのではないかと思えることが意外ではない理由の一つです。

もう一つの理由は今、山口県民の関心事は原発なのか?岩国基地問題とか、他にもあるんじゃないだろうかと思います。(山口に詳しくないので想像です)



「脱原発」の意見が全くと言っていいほど政策に反映されない現在の状況は、不可解であることは間違いない。

いや、不可解でもないし、ほとんど反映されてないというのも疑問です。
お金の使い方が大きく変わっているし、意見聴取会もやってるじゃないですか。政策ってそんなにドラスティックに変わるのは総選挙の時だけじゃないでしょうか。

むしろ、なんの検討も、選挙も無しに、「即座に原発50基廃炉に向けて予算化します!」なんて言ったらそれこそ不可解です。
これだけやって、解散総選挙にならないのが不可解というのならそれは大賛成。



こうしたデモを健全に盛り上げるためには、マスコミにどれだけ取り上げられるかも重要になってくる。しかし、ある関係者によると、マスコミでもデモ報道の取り扱いに対して慎重な態度をとるケースが多いようだ。

マスコミが信頼/信用されなくなってますからねぇ
仕方のないことでしょう。



まさにその政治が頼りにならないがゆえに、国を巻き込んだ議論が不完全となっている側面が大きいのが現実である。

この文章、流しちゃいそうになりましたが、政治と国と分けていますが、対象はどのように違うんでしょうね。
政治家が頼りにならない?国民を巻き込んだ議論になってない?と言いたいんでしょうか。

個人的に相手に考えを理解、浸透させて、実行してもらうことを生業としているので良く思うのですが、こういった細かい気配りを文中でできないと、人は動いてくれません。



五十嵐教授、良い事言ってますが、

少なくとも脱原発を実現したいのであれば、誰に入れたら良いのか、有権者に対してわかりやすい選択肢を提起する必要があるでしょう


僕、そんな人知りませんが。。。
「脱」原発を推し進めてくれる政治家って今はいないし、出てくるとも思えないです。そこが根本原因なので、デモも効果が薄い。というか解決には至らないと思っています。



五十嵐教授、こうも言ってます。
現在の政治家は、アメリカや業界団体、官僚組織の意向を重視するばかりで、民衆の声が届いていません。

ということはつまり、国民と。業界団体や官僚組織の意向にも差があるということですよね。
業界団体の意向はどのように決まっているんでしょうね。国民と呼ばれる集団の一部の人が所属している団体なので、その団体を代表する意見をそれぞれの人が持っているはずですよね。官僚組織に属する人はやはり国民ですよね。

上記と関係ない人が国民の大半だとすると、なぜその意見が強く押されるんでしょうね。
投票率が概ね50%以下になる仕組みが悪いんでしょうね。
なんでもかんでも政治家のせいにするのはやめましょうよ。



以上が、記事に対する意見です。

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